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素行の悪い人間が褒められるニュースが無い謎

2005/4/6

新聞紙面における割合、テレビやラジオでの時間配分を見ていて思うのだが、もういい加減に「犯行時と普段とのギャプ」を重視して報道の比重を決めるのは止めようではないか。

ようするに「本来起こすはずのない人間(肩書き)が起こした」という観点だけで報道の比重を決めるのは、ナンセンスだと感ずるのだ。 教師のセクハラだの、国会議員が汚職しただとか、そんな類はもう食傷だ。

犯行後、犯人の近所の人がインターホンでインタビューに答える。
「そんなことを起こすなんて・・・」 「会えばいつも挨拶をする明るい青年でした」
起こすはずが無い人柄だと思うのなら、堂々と顔をだして「裁判での無罪を信じている」と主張しろ、と言いたい。


そこで思うのだが、何故に逆パターンが存在していない、又は報道されないのか?
すなわち、評判の悪い人間(肩書き)が起こした善行が報道されないということが謎なのだ。

今までの固定観念を捨てて考えて欲しい。
散々っぱら近所での悪評や、同僚からの低評価に時間を割いた後、「この男が川に流されている幼児を助けた」などと映し出されたら深い感動を覚えはしないだろうか?
「会っても絶対挨拶しない奴でした」 「本当にふてぶてしい人間で顔も見たくありませんでした」なんて紹介の後、「そんな青年が今日に限ってどうしてこんなことを」と続くのだ。

世間にはそんな隠された出来事があふれているのではないだろうか。
庶民の怒りを沸き起こすような出来事こそ報道すべきと思い込んでいるのは、発信者側の大きな勘違いである。

そんな報道に特化したニュース番組を心待ちにしている。
寝る前に見れば、疲れ果てた心と体に明日への活力を与えてくれることだろう。

 

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